2022.11.29 20:0880%は農民経済の中心が米だった江戸時代。米を作る農民は全人口の80%もいました。生産する米のほとんどを年貢として徴収されたので白米は農民の口には入りません。時代劇に出てくる町人や商人は全人口の5%ほどだったそうです。大名や将軍は白米をたくさん食べられました。精米によりビタミンB1が不足し徳川将軍の多くが脚気にかかりました。信濃の国の記録では農民は大麦を煎って粉にした香煎と蕎麦粉を固めて焼いた蕎麦持ちが朝食、...
2022.11.28 20:09三食は火事から17世紀から19世紀の日本社会を歴史区分で江戸時代と呼びます。武力紛争が減少し、中央政権による封建制が強化されました。物流が発展し、人も物も都市部に集まります。江戸の町は当時の世界でも有数の人口を誇りました。狭い場所にたくさんの木造家屋が集中したので火事が起こると被害が拡大。商家は火事で被害を受けると家財の立て直しで夜遅くまで働きましした。高価なロウソクや油を使って夜の住まいに明かりを灯す文化が広...
2022.11.27 20:01一汁一菜17世紀になると全国から大きな争いが減り、経済の発展する町に人が集まるようになります。これにより農村と都市部とでは民衆の食生活に差ができました。町の人々はご飯、味噌汁、漬物が毎日の食事でした。一汁一菜が基本です。体に必要なエネルギーを米だけから摂取していたので成人男性は一日に五合食べていました。年貢として都市部へ運ばれてきた米は武士に配られます。自分たちが食べる分だけを残して、余りを換金したので市...
2022.11.26 19:42朔風払葉今日から七十二候は59番目の朔風払葉(きたかぜこのはをはらう)が始まります。朔風(さくふう)とは木枯らしのことです。紅葉した葉が散ってしまい木枯らしが吹き寄せる季節になりました。黄色や赤に染まった葉は散ってしまうと少しずつ茶色に朽ちていきます。奢侈禁止令がたびたび出された江戸時代、呉服に使う様々な茶色が考案され、朽葉四十八色という色見本ができたほどです。落葉広葉樹はわざわざ葉を捨てて冬に備えます。...
2022.11.25 19:10夜食は武士の空腹を満たすために15世紀ごろまでの日本人はお昼前と日の入り前の二回だけ食事をしていました。電灯はなく、高価な油やロウソクを使うことを避けるので、明るいうちにすべてを終える必要がありました。争いが各地に広がった16世紀ごろになると武士たちは土塁の構築など肉体労働が多くなり二食では腹が減ってしまい、夜食を始めました。これが一日三食の始まりです。租税は各地の大名が勝手に決めていましたが、だいたい70%の税率でした。当時...
2022.11.24 21:19二毛作の始まり14世紀になり北条執権家中心の鎌倉幕府は滅びます。再び天皇を中心とする公家中心の政治が始まりました。これに不満を抱いた足利尊氏が後醍醐天皇を追い出し新しい天皇を立て、自らを征夷大将軍に任じさせます。北と南に分かれた朝廷が統一されると争いが減ったので農業が発展します。この時期に二毛作が始まり、農作物の生産性が向上しました。中国から茶が伝わり栽培が全国に広がりました。桑の栽培も始まります。15世紀には...
2022.11.23 19:47土器から鉄器へ幕府が鎌倉から京都の室町へ移ってからは貴族文化の影響を受けて武士のおもてなし料理が華やかになります。奇数の膳に料理を並べる本膳料理が登場します。15世紀の調理法で現在につながる大きな特徴は米です。それまでは土器に米と水を入れて蒸しあげて干す強飯(こわいい)が一般的でした。大陸から鉄器が伝わり、貴族階級では鉄器に水と米を入れて茹でる湯取り方によって湯を濾した後に残る柔らかい姫飯(ひめいい)を食べ始め...
2022.11.22 17:27駒ヶ根より「エビチリ定食&蒸し餃子、おいしかったですいつか行きたいと思っていた同級生のお店やっと来れました!今回は妹とふたりでありがとうございました」(薄橙のらくがき帳より 2022年11月21日)現在は長野県に住む小学校時代の幼馴染が来店。前にも予約していただいたのにコロナの影響で延期。やっと再会できました。お互いに早生まれで年明けに還暦を迎えます。まったく異なる道を歩んできたのに、再会すると一気...
2022.11.21 19:06小雪きょうから二十四節季はいよいよ20番目の小雪。冷え込みが深まり、高山では雪が見られる時期になりました。昼間はぽかぽかと温かい日もあります。これは小春日和。小春とは旧暦の10月、現在の11月です。七十二候は58番目の虹蔵不見(にじかくれてみえず)。空気が乾燥して虹が出にくくなり、曇り空も増えるので虹が出てもぼんやりとしか見えない時期になりました。空気が乾燥するので風邪が流行します。これを防ぐためにビ...
2022.11.20 21:02質素倹約の推奨華美な貴族文化を否定した武家政権。鎌倉時代は暮らしの隅々まで質素倹約が浸透します。それまでの仏教に不満を覚えた僧侶たちが中国で禅宗を学び鎌倉に伝えました。その時に料理技術とともに肉食を断つ精進料理も伝えます。植物油や味噌を小麦粉や大豆に合わせて動物性食材に近づける工夫が始まりました。鎌倉市の遺跡からは当時の食生活を知る魚介類の骨などがたくさん出土しています。サメ、タイ、イシダイ、クロダイ、スズキ、...
2022.11.19 19:56米食は高い地位の象徴794年に平安京が作られてからの約400年間を平安時代と区分しています。貴族文化が花開いた時代です。社会的格差が大きくなり、身分によって食事が異なることがはっきりします。農業技術が発達しなかったので稲作が普及せず、米は貴族が食べる珍しい食べ物でした。肉食が禁止されたので貴族は魚介類でタンパク質を補い、わずかな米を食べました。多くの貴族がビタミンB1不足による脚気で亡くなりました。武士や民衆は粟や稗...
2022.11.18 20:35肉食禁止古墳時代の中盤から後半にかけて畿内で勢力を誇ったヤマト王権は3世紀後半までに南東北から南九州までを支配下に置くほどに勢力を広げました。その後、朝鮮半島で王朝同士の戦争があり、争いに敗れた百済王朝の生き残りの人たちが日本に渡りました。雄略天皇はこの時の渡来人だったという説が有力です。中国大陸を通じて仏教が日本に伝わり、殺生を禁じる教えに従って675年に天武天皇は肉食禁止令を発します。これは残酷な狩り...