一汁一菜
17世紀になると全国から大きな争いが減り、経済の発展する町に人が集まるようになります。これにより農村と都市部とでは民衆の食生活に差ができました。町の人々はご飯、味噌汁、漬物が毎日の食事でした。一汁一菜が基本です。体に必要なエネルギーを米だけから摂取していたので成人男性は一日に五合食べていました。年貢として都市部へ運ばれてきた米は武士に配られます。自分たちが食べる分だけを残して、余りを換金したので市中には豊富に米が出回りました。農民は相変わらず自分たちが作った米を税として取られたので少量のお米に雑穀や芋を混ぜた「かて飯」が一般的でした
No.1198
10月21日撮影。食堂表
2103 days until the end of the first phase
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