更新情報

ホーム

トピックを更新しました

2024年5月17日

営業予定

最新情報をアップしました

2024年5月17日

ご案内

画像を更新しました

2024年3月17日

徳川幕府は長崎で外国と貿易していました。醤油は出島からオランダ船や中国船に乗せられて中国、東南アジア、スリランカに運ばれました。その一部がヨーロッパにも運ばれ珍重されます。18世紀半ばに書かれたフランスの「百科全書」には「SOUI(しょうゆ)」として紹介され、肉汁に加えるととても良い風味が生まれると強調されています。初めはオランダからリキュールを入れて運んだケルデル瓶という陶器を再利用しました。輸出量が増えたので長崎の波佐見で焼いた徳利型のコンプラ瓶が使われるようになります。コンプラ瓶は20世紀まで使われました

No.1735

4月2日調理の麻婆野菜

1566 days until the end of the first phase

戦争はすべてを失わせます。19世紀後半の日本政府は軍備を増強し東アジア諸国へ軍隊を侵攻させました。国産大豆に頼っていた醤油作りは近代化によって需要が増え、大豆と食塩の輸入比率を大幅に上げていきます。しかし、満洲国設立、日中戦争、東南アジア諸国侵略、日米開戦へと世界からの孤立を深めると醤油は原料の輸入が途絶えました。それまで大豆そのものを使う丸大豆製法でしたが、油を搾った後の脱脂加工大豆を使う製法が確立。やがてそれさえも入手が困難になっていきます。野田醤油(現在のキッコーマン)は化学処理を採用して醸造した醤油を作る方法を考案し無償で特許を公開。他社に積極的に伝えます。敗戦後、GHQはアミノ酸(うま味調味料)業界を主体にした醤油作りを供給しようとしましたが、再び野田醤油が醸造期間を短縮化し原料の利用効率を向上させた新しい醤油製造方法を開発。これも特許を無償で公開し醸造醤油業界を主体とした醤油作りをGHQも認めました

No.1734

4月1日調理の肉野菜炒め

1567 days until the end of the first phase

19世紀の江戸で醤油とともに登場する調味料がみりんと鰹節です。現在の和食ではこれらは味の決め手です。それまでもみりんは使われていましたが赤く濁っていました。それが1814年に流山で淡く澄んだ白みりんが作られ「あずま名物」として一気に普及します。また室町時代に土佐で製造方法が確立した鰹節(土佐節)がこの時期に安房や伊豆でも作られるようになりました。江戸の水が上方の水に比べて硬度が高かったので昆布から出汁を引きにくく鰹節が重宝されていきます。醤油とみりんで作るツメやタレ、醤油とみりんと鰹節で作るツユが握り寿司、かば焼き、天ぷら、蕎麦の味を引き立てました。濃口醬油、白みりん、鰹節が江戸で同じ時期に作られるようになったのは偶然だったのか必然だったのか不思議ですね

5月16日(木)は定休日です

No.1733

4月1日調理のエビチリ

1568 days until the end of the first phase

きょうから七十二候は21番目の竹笋生(たけのこしょうず)が始まります。4月に出回るタケノコは孟宗竹。5月から6月にかけては真竹が登場します。ちなみにメンマの原料は麻竹。真竹はマダケ、麻竹はマチクと読みます。竹の地下茎から生える若い芽がタケノコです。土からほんの少しだけ顔を出すタケノコは柔らかく食べ頃です。孟宗竹は1日に1メートルも育つので収穫を逃すと生長しすぎます。表面を包む薄い皮はキツネや猪に食べられないようにするためです。発芽後1ヶ月ぐらいで皮はなくなります。皮のあるうちがタケノコです。食物繊維が豊富で整腸作用があり便秘や大腸がんの予防に効果的です。カリウムが豊富でよぶんなナトリウムを排出してくれるので血圧が安定します

5月15日(水)は定休日です

No.1732

4月1日調理の海老野菜炒め

1569 days until the end of the first phase

2024年5月14日(火)

本日は午前9時30分から営業を開始しています

午後1時30分オーダーストップ、2時閉店です

夜の営業はありません

本日の手作り野菜

レモン(塩レモン)

紫蘇(紫蘇の実の醤油漬け)

ニラ

小松菜

玉ねぎ

食堂前のプランターではつるなしインゲンが育っています

18世紀になり江戸の町は全国から人も物も集まるようになります。野田や銚子で作られ始めた醤油。江戸の人たちの口にあった味に作り替えられていきます。度重なる大火のために都市建設で働く職人たち、参勤交代で全国から下ってきた家来たちによって男性比率がとても社会ができていきます。小料理屋、屋台、居酒屋のような蕎麦屋が需要にこたえていきました。力仕事で塩分が汗によって流出した男たちは塩味がきいた濃い味を好みました。そこで醸造期間を1年に伸ばした濃口醤油が登場。濃厚で切れ味の良い関東の醤油が普及します。19世紀には上方産の下り醤油(泡口醤油)の10倍もの濃口醤油が江戸に入荷されました

5月14日(火)は昼のみの営業です

No.1731

3月30日の小雀農園。発芽したキタアカリ(ジャガイモ)

1570 days until the end of the first phase

16世紀後半、近畿地方に醤油の産地が形成されます。17世紀、江戸に幕府が開かれてからは堺、龍野、湯浅で大量生産が可能になりました。「万金産業袋(ばんきんすぎわいぶくろ)」によると炒って挽き割った小麦と煮た大豆をよく混ぜて麹を作る方法が記され、現在に続く醤油づくりとの共通点が見られます。浄瑠璃「曾根崎心中」の主人公徳兵衛は醤油問屋の手代でした。醤油が庶民の身近な調味料になっていたと思われます。江戸では上方から多くの生活用品を運んで都市建設を行いました。多くの醤油も送られます。これが下り醤油。江戸の町が整備されると下総の野田、銚子で醤油づくりが始まりました。当時、品質のよい製品は上方から江戸に下りました。反対に品質の悪いものは下ることができず、「くだらない」は江戸言葉で価値のないものを表すようになりました

No.1730

3月25日調理の肉野菜炒め

1571 days until the end of the first phase

武士の争乱が一段落した14世紀、足利氏が幕府を開きます。京では醤作りが衰退し、戦場でも持ち歩ける固形のみそが調味料の主流になりました。1568年「多聞院日記」に醤油の表記が登場します。原料の配合から現在のしょうゆやたまりに近い「唐ミソ」「唐ミソ汁」と表記されたものもありました。1597年「易林本節用集」に醤油が記載されました。液状調味料として定着し始めたと推測されます。この頃の書物に醤油がひんぱんに登場するのは、当時の明王朝との貿易が関係します。多くの貨幣や書物がもたらされる中に醤油が含まれていたのでしょう。日明貿易航路があった瀬戸内海沿岸に醤油産地が分布しているのもこれらとの関連がうかがえます

5月12日(日)は都合により臨時休業させていただきます

No.1729

3月24日特別コースのデザート

1572 days until the end of the first phase

中国で作られた醤油のもとが日本に伝わる前、縄文時代末期には稲作の本格化と同時に魚醤が作られたと考えられています。やがて穀類を原料にする穀醤が海の向こうから伝わります(高麗醤こまびしお・唐醤からびしお)。7世紀後半の遺跡から発見された木簡に「醤」の文字が記され「ひしほ」と読まれていました。757年の養老令によると大膳職(だいぜんしょく:料理場)で醤が作られます。主醤(ひしおのつかさ)という役職が置かれました。平安時代になると大膳職の別院として醤院が作られます。ここで「供御醤(くごびしお)」「雑給醤(くさぐさのたまいびしお)」「添醤(そえびしお)」「滓醤(かすびしお)」「醤滓(ひしおかす)」が作られました。滓醤と醤滓は液状の調味料を絞り出した残りと思われ、それ自体も調味料やおかずとして使われました。しかし、公家や朝廷を守っていた武士が争乱を起こし、京の治安が悪化すると醤作りは衰退していきました

No.1728

3月19日調理の肉野菜炒め

1573 days until the end of the first phase

きょうから七十二候は20番目の蚯蚓出 (みみずいずる)が始まります。冬眠していたミミズが地上に現れる時期になりました。ミミズは目が見えないので光を感知して暗がりに潜む習性があります。ミミズが通ったトンネルは植物にとって土中の水や空気の通り道になります。落ち葉や有機物を食べて窒素やリンを含む栄養豊富な糞をします。天然の肥料です。自然の鍬とも呼ばれるミミズは田畑を耕す裏方です。アリストテレスは「大地の腸」と呼びました。英語ではearth worm = 地球の虫

No.1727

3月19日調理の海老炒飯と肉野菜炒め

1574 days until the end of the first phase

日本では15世紀の『文明本節用集』(ぶんめいぼんせつようしゅう)に「漿醤」に「シヤウユ」という読み方で登場します。100年後、『多聞院日記』に醤油という表記が見られます。同じ時期の『鹿苑日録』には漿油に「シヤウユ」とフリガナがついています。油は漢音でユウ。シヤウユウと発音されていたかもしれません。また正油は当て字です。調味料を使う順番をサシスセソで表す時はセ。これは許容仮名遣いの「セウユ」からですが「シヤウユウ」が歴史的仮名遣いとしては正しいです。吸い物の下地に使われることから「したじ」という別名があります。「むらさき」という別名には諸説あります。中華料理の調理法で上漿(シャン・ジャン)は下処理のこと。食材に味付けをする時に漿は使われます

5月9日(木)は定休日です

No.1726

3月19日調理の蒸し餃子

1575 days until the end of the first phase

日本料理では醤油を調理の根幹として使います。そのままかけて使う、煮物の味付けや汁物のタレのベースに使うなど使い方は多様です。天ぷら、江戸前寿司、蕎麦などに使われます。一般家庭や飲食店でも醬油差しに入れて食卓に出されます。製菓材料として、煎餅の塩味のみならず、甘い菓子にも使われています。主要な産地は千葉県と兵庫県。全国的には濃口醬油が一般的です。薄口醬油(淡口:関西地方)や甘口醤油(九州)など地域の特性に合った醤油もあります。多様性は幅広く、狭い地域限定の生産もあります。伝統製法のみならず、技術革新は進んでいて、21世になってからは透明な醤油も販売されています

5月8日(水)は定休日です

No.1725

3月19日調理の麻婆野菜とエビチリ

1576 days until the end of the first phase