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2024年3月29日

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2024年3月29日

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2024年3月17日

「鎌倉のレストランに勤務するため、こちらのお店から歩いて15分くらいのところに引っ越してきました。初勤務の一週間を終え、最初の外食で佐々木食堂さんに来られたことは大変幸運でした。お料理もお米もスープも小鉢のお漬物も全部美味しかったです。次は麻婆野菜定食を頂こうと思います。ごちそうさまでした。(2024年3月25日)」

年度替わりでの引っ越し。これまでの暮らしと仕事から新しい人生の幕が開きますね。気持ちの切り替えが難しいと思いますが、あせらずゆっくり北鎌倉での生活を楽しんでください。転居されて最初の外食にたまたま食堂を選んでくださりありがとうございました。悩み、苦労、喜び、感動、もやもやなどをため込まずに、また「らくがき」に記してください

No.1685

2月25日調理のテイクアウト海老炒飯と麻婆豆腐

1616 days until the end of the first phase

「肉野菜炒め定食を頂きました。仕事がつらく食欲がなくて食べても下してしまう日が続いていましたが、こちらの料理はおいしくてお腹にもやさしく、いつも食べる元気が出ます。ごちそうさまでした(2024年1月8日)」

少しでも食を通じてお客様の元気や健康に貢献できれば幸いです。人の体は口から入るものだけでできています。苦しい時こそ、体が喜ぶものを口に運んでください

「歩こう会に参加して9kmウォーキングしてきました。14611歩。ビールは最高ですね。仕事の後じゃなくてこういう時は(2024年3月10日)」

穏やかな春の始めに近隣の山野をたくさん歩いてから飲むビールは至福でしょう。きっと喉も体も心も大喜びだったことでしょう

食堂のカウンターには「らくがき」と表紙に記した小さなメモ帳が5冊置いてあります。それぞれ表紙の色が異なります。メッセージだけでなく、絵や線描きでも可能なように「らくがき」にしています。どの書き込みにも短い返事を寄せています

3月28日(木)は定休日です

No.1684

2月24日調理のテイクアウト肉野菜炒め

1617 days until the end of the first phase

小林製薬の紅麹から毒性物質が検出され健康被害が広がっています。3年間サプリを飲み続けていた方が腎臓を害して亡くなっていたことが分かりました。紅麹はサプリ以外にも多くの食品に添加物として出荷されています。それらすべての販売と製造が今後ストップし、それぞれの会社が回収へと発展するでしょう。このサプリは機能性表示食品でした。販売事業者が科学的根拠が記された資料を提出し、書類に不備がなければ認められるのが機能性表示食品です。国(消費者庁)は認可するのみで審査はしません。特定保健用食品(トクホ)は安全性や効果を国が審査し合格した商品です。消費者庁が認めたマークを表示することが必要です。トクホになるには長い時間と多くの費用がかかります。これに対して機能性表示食品は短時間・少ない費用で認可されます。国が機能性や安全性を審査しないので、利用者が販売事業者を信用して使用することが重要です

3月27日(水)は定休日です

No.1683

2月24日調理のテイクアウト蒸し麻婆野菜

1618 days until the end of the first phase

日本人同士が1年以上殺しあった1868年から1869年。江戸が強制的に東京と改名されました。それまで長く使われてきた太陽太陰暦(旧暦)が廃止され西洋の太陽暦が導入された1873年。銀座の木村屋があんぱんを明治天皇に献上した4月4日は「あんぱんの日」です。この頃から皇族や貴族社会にテーブル、椅子、西洋料理が広がります。庶民の朝はご飯・味噌汁・漬物、昼は漬物・お茶漬け、夜はご飯・漬物・味噌汁・野菜の煮つけでした。ちゃぶ台が登場したのは1877年。膳が無くなり家族で食事を囲むスタイルが作られていきます。割り箸も発展。切れ目に割れ目がなく、頭部が長方形で角がとられていないシンプルな丁六箸(ちょうろくばし)、丁六箸の四隅を削って持ちやすくした小判箸(こばんばし)が考案されました。現在、丁六箸は短いので持ち帰り用弁当などに、小判箸は家庭用や大衆食堂用に使われています。塗り箸が全国に普及するのは1894年(日清戦争勃発)です。山形県鶴岡市で貧困児童を対象に学校給食が始まったのは1889年です

3月26日(火)は昼のみの営業です

No.1682

2月24日調理のテイクアウト蒸し餃子

1619 days until the end of the first phase

七十二候は今日から11番目の桜始開(さくらはじめてひらく)が始まります。日本社会では平安時代から花見といえば桜を意味していました。現在、国内の8割以上はソメイヨシノ。江戸彼岸桜と大島桜の交配種で江戸時代に作られたので、それ以前にはありませんでした。奈良の吉野の花見は古くから有名です。当時はソメイヨシノはなかったので山桜を鑑賞していました。葉と花が同時に咲きます。サは田の神、クラは神の御座(居場所)を表し、桜には田の神が宿って花を咲かせると考えサクラという名前になったという説があります。いまの日本では桜が咲く時期が年度替わりと重なります。別れと出会いの節目に親しい仲間や家族、新しい仲間と優雅な開花を楽しみましょう

No.1681

2月23日調理の炒飯と肉野菜炒め

1620 days until the end of the first phase

軍事力で江戸に幕府を開いた徳川政権時代。17世紀初頭、懐石料理に酒宴を入れた会席料理が発達します。幕府は漆奉行を置き、漆の管理や吟味、配分を行い各地に漆器の名産地が誕生しました。18世紀になると箸にも漆が塗られるようになります。それまでの木椀や漆椀に加えて1730年ごろ、陶磁器の食器が普及し始めました。1783年出版の「万載狂歌集」に割り箸の原型(割りかけ箸・引裂箸)が記載されます。箸に切れ目をつけ使うときに割って二本にします。これは使用前の清潔感を強調する意味がありました。19世紀後半、封建制度の固定化により身分によって異なる膳が普及します。庶民は粗末で塗料や漆のはがれた箱膳や宗和膳を使いました。商家は朝は味噌汁のみ、昼は魚が安ければ食べ、夜は漬物のみと「幕末百景」に記されています。白米はとてもぜいたくな食べ物でした

3月24日(日)の昼は貸し切り、夜は休みです

No.1680

2月23日調理の肉野菜炒め

1623 days until the end of the first phase

現在の日本料理の原型とされる本膳料理。これは儀式的要素の大饗料理と技術的要素の精進料理が組み合わさったものです。1392年にこれが登場しました。出汁にカツオと昆布が使われ始めました。奉書のような紙で箸を包む箸紙が使われるようになりました。現在の箸袋の原型です。14世紀末から15世紀初頭にかけて輪島の重蓮寺で漆塗の器物が作られ始めます。輪島塗の基礎となりました。室町幕府8代将軍、足利義正が丈夫な箸を考え柳の木で作った両口箸を作りました。酒販論絵巻(1550年)に真魚箸や菜箸が描かれています。16世紀後半になると一期一会の精神と一汁三菜程度の茶会石料理(懐石料理)が登場しました。同じころ、長崎に中国から卓上の好みの料理を自由に取って食べる中国式の卓袱(しっぽく)料理が伝わりました

3月23日(土)は都合により臨時休業させていただきます

No.1679

2月19日調理の蒸し餃子

1624 days until the end of the first phase

宋王朝から帰国した栄西が臨済宗(禅宗)を日本に伝えたのが1191年、道元が曹洞宗(禅宗)を伝えたのが1227年。将軍や多くの大名が禅宗に帰依しました。これによって精神修養の一端である精進料理が広く庶民の間にも広がります。道元禅師は日常的な食事は人の心を育てる重要な場であると説きました(「典座教訓」「赴粥飯法」:1237年)。鉢(器)に口をつけない・鉢の上げ下げや箸を使うときに音を立てない・一度にたくさんのご飯を口に入れないなど、現在にも通じる食事マナーの基礎が作られていきます。この頃から台盤と高坏がなくなり一人用膳の折敷(おりしき:お盆の原型)や衝重(ついがさね)が普及していきます。箸は膳に添えられ、数え方が一膳、二膳となりました。共有していた箸や椀が個人個人に属するようになります。膳が広がると椀を手にもって食べる文化が広がります

No.1678

2月18日調理の海老炒飯と麻婆野菜

1625 days until the end of the first phase

710年、平城京に都が移りました。当時は料理人のことを包丁人と呼びました。脚のある食台(台膳)に皿(高坏)を乗せ食事を盛りつけるようになります。平城京遺跡からは檜の箸と食器類が出土。古事記が編纂され箸拾い神話が掲載されました。日本書紀には箸墓神話が記述されます。正倉院には檜の箸と食器類が所蔵されました。この頃から祝い箸が登場します。木の椀を専門に作る木地師が誕生。794年、平安京に都が移りました。貴族社会は銀の匙と木製の匙を使い分けるようになりました。庶民は竹か木の箸と木製の椀を使っていました。この頃から木製の椀への漆塗りが始まります。宮中の女官が箸を入れる袋を作りました。1150年の信貴山縁起絵巻によると、銘々膳が普及し、箸のみでの食事が定着し始めます。貴族と庶民の区別なく二本箸だけの食事が始まりました。当時の食事マナーをまとめた「衛生秘要妙」に食事中の会話は禁止、話しながら食べると胸や背の痛みを伴うと記載されました。仏教の広まりとともに精進料理が発達します

3月21日(木)は定休日です

No.1677

2月18日調理の海老炒飯と蒸し餃子

1626 days until the end of the first phase

きょうから二十四節気は4番目の春分が始まります。いわゆる春分の日でもあります。これより昼間の時間が夜の時間よりも長くなっていきます。中世までは春分の時期に貴族が花見を楽しみました。豊臣秀吉が吉野山などで華美な花見をしたことをきっかけに江戸時代には華やかな花見を庶民が楽しむようになりました。1717年向島の長命寺で山本新六という人が墓参りの人を桜餅でもてなしたのが桜餅の発祥と言われています。桜餅は東京発祥。関東では餡を小麦粉の生地で包んだ長命寺、関西では道明寺粉の生地で包んだ道明寺が有名です。ポリフェノールを多く含む新玉ねぎが出荷されます。水分が豊富なので生のままで食べましょう。産卵のため雄の腹部が鮮やかな紅色になる桜鯛は旬を迎えます。七十二候は10番目の雀始巣(すずめはじめてすくう)が始まります

3月20日(水:春分の日)は定休日です

No.1676

2月17日調理の海老炒飯

1627 days until the end of the first phase

紀元前3世紀から3世紀にかけての500年から600年間を現在の歴史区分では弥生時代と呼びます。静岡県登呂遺跡からは木製の匙が出土しています。赤米などの米作りが始まりました。後漢の記録には「倭国は手食」と記されています。当時の神話(箸拾い神話・箸流れ神話・箸浮かべ神話・箸墓神話)などから、祭祀や儀式で箸は神々を祀る祭器として使われていたと思われます。朝鮮半島から能登半島へ移住してきた貴族を祖先とする可能性がある大和朝廷。260年から562年の300年間。中国から漢字が伝わり、大和朝廷が先住民族を侵略し支配地域を広げ、百済(朝鮮)から仏教が伝わりました。大陸や半島の影響を受け、膳の原型が作られ用途別の器を置く台に配膳するようになりました。聖徳太子が活躍し(593年:摂政)、小野妹子が荒波を越えていた頃(607年:遣隋使)、隋王朝で箸と匙による歓待を受け、箸食制度を608年に発令しました。ヒノキ、スギ、ミズキの素木を割って削った両口箸(両端が細い)、片口箸(片方だけ細い)が使われ始めました。飛鳥板葺宮遺跡、藤原宮遺跡からヒノキの箸が出土しています

3月19日(火)は昼のみの営業です

No.1675

2月16日調理の海老炒飯

1626 days until the end of the first phase

インドではテーブルに肘をつきながら食事をするのは良いマナーです。両肘をつき左手で料理を取り分け右手で直接食べ物を口に運ぶのが正しい食べ方です。料理の残すことは悪いマナーです。富裕層が食べ物を残すことが大問題になっています。貧富の格差が大きいインド社会では食べ物を残すととても失礼な行いと受け止められます。ヒンドゥー教教徒が多いネパールでも手食文化は同じです。日本では寿司、おにぎり、パン、フルーツの一部は手で食べます。しかし、多くの食事場面では箸を使います。中国や台湾ではお客さんが来たときは食べきれないほどの料理でもてなすことが良いとされています。そのため食事を残すことは悪いことではありません。残った料理を家族が翌日に食べるので効率的です

3月18日(月)は昼のみの営業です

No.1674

2月15日。鎌倉の農協連即売所(レンバイ)で旬の野菜を仕入れてきました

1627 days until the end of the first phase