肉食禁止
古墳時代の中盤から後半にかけて畿内で勢力を誇ったヤマト王権は3世紀後半までに南東北から南九州までを支配下に置くほどに勢力を広げました。その後、朝鮮半島で王朝同士の戦争があり、争いに敗れた百済王朝の生き残りの人たちが日本に渡りました。雄略天皇はこの時の渡来人だったという説が有力です。中国大陸を通じて仏教が日本に伝わり、殺生を禁じる教えに従って675年に天武天皇は肉食禁止令を発します。これは残酷な狩りの方法が禁止されたことを意味するので、牛・馬・犬・猿・鶏以外の動物を食べることは禁じませんでした。しかし貴族社会では完全に肉食が無くなり、魚で動物性たんぱく質を大豆と米で植物性たんぱく質を摂取する健康長寿効果の高い食文化が始まりました。肉食ができない物足りなさを補うために出汁取りや彩りの工夫が施され和食の原型が作られます。米を税として徴収された民衆は粟や稗を主食とし、身分によって食べ物が分かれていきました。肉食禁止令はなんと1871年(明治4年)の廃止まで存続し、肉食を避ける和食文化を浸透させました
No.1189
10月8日提供の肉野菜炒め(コース料理用)
2112 days until the end of the first phase
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