醤油物語10 特許無償公開

戦争はすべてを失わせます。19世紀後半の日本政府は軍備を増強し東アジア諸国へ軍隊を侵攻させました。国産大豆に頼っていた醤油作りは近代化によって需要が増え、大豆と食塩の輸入比率を大幅に上げていきます。しかし、満洲国設立、日中戦争、東南アジア諸国侵略、日米開戦へと世界からの孤立を深めると醤油は原料の輸入が途絶えました。それまで大豆そのものを使う丸大豆製法でしたが、油を搾った後の脱脂加工大豆を使う製法が確立。やがてそれさえも入手が困難になっていきます。野田醤油(現在のキッコーマン)は化学処理を採用して醸造した醤油を作る方法を考案し無償で特許を公開。他社に積極的に伝えます。敗戦後、GHQはアミノ酸(うま味調味料)業界を主体にした醤油作りを供給しようとしましたが、再び野田醤油が醸造期間を短縮化し原料の利用効率を向上させた新しい醤油製造方法を開発。これも特許を無償で公開し醸造醤油業界を主体とした醤油作りをGHQも認めました

No.1734

4月1日調理の肉野菜炒め

1567 days until the end of the first phase

佐々木食堂

食の安全と 安心を通して 健康寿命を 伸ばしましょう

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