醤油物語11 波佐見焼

徳川幕府は長崎で外国と貿易していました。醤油は出島からオランダ船や中国船に乗せられて中国、東南アジア、スリランカに運ばれました。その一部がヨーロッパにも運ばれ珍重されます。18世紀半ばに書かれたフランスの「百科全書」には「SOUI(しょうゆ)」として紹介され、肉汁に加えるととても良い風味が生まれると強調されています。初めはオランダからリキュールを入れて運んだケルデル瓶という陶器を再利用しました。輸出量が増えたので長崎の波佐見で焼いた徳利型のコンプラ瓶が使われるようになります。コンプラ瓶は20世紀まで使われました

No.1735

4月2日調理の麻婆野菜

1566 days until the end of the first phase

佐々木食堂

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