あんパン
19世紀の後半にアジアを植民地化する欧米諸国に対抗するために帝国政府は、徳川政権は悪習を広めていたと喧伝し暮らしの隅々に欧化政策を強行します。食事も西洋料理が推進されました。電車やガス灯、電気などは都市部に限られ、全国の農村や漁村ではそれまでの少量の米に麦をたくさん混ぜた麦飯に味噌汁、漬物という一汁一菜が一日に三回繰り返されました。地方都市では20世紀に入っても菜種油が灯りの燃料でした。そんな中、銀座の木村屋が創作したあんパンは安価で庶民に手が届くおやつとして広がりました
No.1204
11月2日発芽のほうれん草
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