麦飯中心

1868年の内戦で政権が徳川家から薩摩藩・長州藩などの連合軍に替わりました。農民や庶民の暮らしは大きく変化するはずもなく、いわゆる明治時代になっても貧しい食生活が続きます。米は高価で買えません。麦飯を中心とした一汁一菜が基本でした。冷めた麦飯を油揚げに混ぜたりお粥にしたりしました。保温技術がなかったので麦飯は冷めると硬くなったからです。徳川政権が質素倹約を強制したので、農民や庶民にはこれを美徳とする考えが広がりました。そのため麦飯に野菜や魚を少しだけつけるのが一般的でした。外国から農耕技術が入るまで米の供給は不安定なままでした

12月3日(土)はランチのみ貸し切りです

No.1203

11月1日調理の炒飯

2098 days until the end of the first phase

佐々木食堂

食の安全と 安心を通して 健康寿命を 伸ばしましょう

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