稲作の浸透
縄文時代の後半になると地球の気候が変動し自然界から食物を得ることが困難になりました。そこで中国から福岡県や佐賀県に渡ってきた人たちが稲作を始めました。当初はあくまでも狩猟の補完食料としての位置づけでした。その後100年間で稲作は現在の青森県まで広がりました。稲崎技術が向上し弥生時代には稲作は主食扱いになります。弥生時代はあくまでも後世の学者が考えた時代区分です。生活様式がそれ以前と大きく変わったので呼び方が新しい名前がつけられました。弥生時代は1000年間も続いていますが、豪族や王族の発生や位置、争いについてはまだ不明な点が多く残っています。当時の遺跡からは木製のスプーンや皿などが発掘されています。調理した料理を盛りつけ、手ではなく道具を使って食べる文化がすでに始まっていたと推測されます
11月16日(水)は定休日
No.1186
10月8日提供のお造り(コース料理用)
2115 days until the end of the first phase
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