味噌物語13 戦社会の糧

足利政権が影響力を弱め、各地の守護地頭が武力によって政権から独立した15世紀半ばからの100年間。大名と呼ばれる守護地頭さえも、地元の豪族たちによって滅ぼされる血で血を洗う社会では足軽や寄騎たちに十分な糧食を用意することが必要でした。主従関係が利益で成立していたので食べ物が用意できない主のもとからは脱走する兵士たちがたくさんいました。この時代、発酵食品の味噌を運搬することが課題になります。同時に醸造法も発達。殺し合いの時代に終焉をもたらす、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康はそろって豆味噌どころで生まれました。武田信玄の信州味噌、伊達政宗の仙台味噌は現在に至るまで作り続けられています。栄養豊富な味噌が強い勢力を保ち「手前味噌」をもつ者が権力を手にしたとも言えます。平均寿命が40歳未満だった時代に75歳まで生きた徳川家康は五菜三根の味噌汁、麦飯を食べ続けました。徳川政権では将軍の食膳に味噌汁を欠かせなかったそうです

6月19日(水)は定休日です

No.1767

5月6日調理の肉野菜炒めと海老野菜炒め

1534 days until the end of the first phase

佐々木食堂

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