味噌物語9 ひとり一斗

朝廷から政権を奪い、京から遠く離れた鎌倉に政治の中心を移した源政権。これを支えた武士たちの食事は一汁一菜でした。一日に五合の玄米ご飯、味噌汁と魚の干物が一般的でした。玄米からカロリーを、干物からカルシウムとタンパク質を、味噌から栄養が摂取できる理想的な食事でした。この食事はその後、多くの日本人にとって食の基本になり20世紀前半まで900年間も続きます。米は時代とともに玄米から白米になったり麦や稗になったり、干物は野菜の煮物になったりしましたが、味噌だけはどんな状況下でも長く変わらず食べられ続けました。それぞれの家で仕込む味噌は重要な作業でした。一人一斗、客に一斗を基本に醸造しました。一斗は約18リットルです。いわゆる平安時代は味噌を粒粒のまま食べました。幕府が鎌倉に移ると政権の頭脳として機能した禅寺が味噌をすることで調味料としての多様性が広がります。精進料理の幅を広げるのに役立てたのでしょう。足利政権が幕府を京に戻すと味噌汁が庶民にも広がりました。血で血を洗う侍たちによる殺し合いの時代に入ると味噌は貴重な保存食として大きく利用価値が認められていきます

No.1762

5月3日のコース料理「お造り」(3日前予約)

1539 days until the end of the first phase

佐々木食堂

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