砂糖の歩み4

1894年の日清戦争の後、台湾を占領した帝国政府は台湾経済の中心に製糖業をすえます。機械化された大工場が設立されました。国内にも近代的な工場が完成し砂糖の生産体制が整っていきます。しかし、1941年の真珠湾攻撃以降、台湾からの物資輸送が滞り、粗糖の輸入が減少、砂糖不足が深刻になりました。敗戦後も砂糖不足は続き1952年まで配給制が続きます。この時期、甘味需要に応じるためにズルチンやチクロなどの人工甘味料が大量に使用されました。しかし、これらは肝機能障害や発がん性が明らかになりやがて使用禁止になります。それまでは和菓子や飲み物に大量に使われ人の口に入りました。1955年のサンフランシスコ講和条約によってアメリカ政府を中心とする資本主義陣営の傘下に入った日本社会では復興が進みます。砂糖の消費量は飛躍的に増えました

4月17日(水)は定休日です

No.1704

3月5日調理のエビチリ

1597 days until the end of the first phase

佐々木食堂

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