笹森儀助
勝手世運動で黒糖の自由売買権を手にした奄美群島の人々。サトウキビの不作や別会社の独占などで苦悩が続きます。薩摩藩によって黒糖を貨幣の代わりにさせられていたため貨幣経済に慣れておらず借金地獄に見舞われました。1845年に陸奥国弘前藩で生まれた笹森儀助は1892年から約10年をかけて各地の生産力と生活の実態を調査した。先島諸島では琉球王国から課せられた人頭税の名残が続き悲惨な暮らしを目の当たりにした。この時に記した「南嶋探検」は保守派の笹森が政府や沖縄県庁の無策を批判したので信憑性の高い報告書として有名。沖縄からの帰りに奄美群島に立ち寄った笹森は薩摩藩時代から続く鹿児島県の商人による黒糖の独占売買に直面。島民が貧窮にあえいでいることを記録しています。この経験から1894年に政府から奄美大島島司に任命されました。4年間の在任中、借金返済や黒糖業振興、伝染病対策などに島民側に立った政策を実施しました
4月16日(火)は昼のみの営業です
No.1703
3月4日調理の肉野菜炒め
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