丸田南里
1851年生まれの丸太は薩摩藩が鹿児島県に変わっても奄美群島からの黒砂糖を独占し自由売買を認めなかったことに激怒し島民とともに立ち上がりました。それが「かってゆ(勝手世)運動」。丸太は「なんぞ鹿児島商人一手の下に拘束をうくる理あらんや」と舌鋒鮮やかに声を上げました。請願のために鹿児島に渡った55人は投獄され、多くが西南戦争に従軍させられます。帰島できたのはわずかでした。丸太も投獄され、暴行を受けます。それでも運動は続き1878年にようやく黒砂糖の自由売買権を勝ち取りました
No.1702
3月4日調理の海老野菜炒め
1599 days until the end of the first phase
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