闇市
連合国を相手に戦争をしていた帝国政府は戦争中にどんどん不足していく主食の米を補うために植民地の朝鮮や台湾から輸入(搾取)しました。国内消費量の25%に達したそうです。降伏後はこれらが得られなくなり、戦争中よりも国内の食料不足は深刻になりました。上野駅周辺では1日に2人以上も飢え死にした記録が残っています。的屋と呼ばれる露天商がござで境界を区切り非合法の市場を取り仕切り始めます。空襲によって空き地が広がった東京(新宿)から闇市が広がりました。新しい店を出したい人は場所代金を的屋に払う必要がありました。始めはざるに野菜を盛りつけたり、石油缶に魚を入れたりして売られます。やがてバラックが組み立てられうどんやそばも販売されました
12月14日(水)は定休日
No.1214
11月7日調理の蒸し餃子
2087 days until the end of the first phase
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