黒糖地獄

奄美大島を含む奄美群島は古くから中国と日本の間で交易を行い独自の文化を形成していました。15世紀に尚巴志が琉球王国を建国すると奄美群島を従属させます。さらに16世になると琉球王国の統治が進み奄美群島は琉球文化圏の一部を構成します。1609年に薩摩藩の島津家久は幕府の許可を得て琉球への侵略を始めます。まず奄美群島を制圧し、次いで琉球王国を降伏させました。薩摩藩は代官を奄美群島に派遣し支配下におきます。サトウキビによる黒糖は薩摩藩の重要な財源になり島民はサトウキビ栽培を強制させられました。薩摩藩は幕府から命じられた木曽川の治水工事と8代藩主の蘭学研究への資金投入によって深刻な財政難に陥ります。家老の調所広郷(ずしょひろさと)は大きな利益をうむ黒糖を薩摩藩の専売制にして生産から販売までの管理を強化しました。黍横目(きびよこめ)という役人を配置し、島民はサトウキビを生産しても一片たりとも口にすることを許されません。ほとんどの土地がサトウキビ畑にかわり、島民は食糧難に直面しました

4月11日(木)は定休日です

No.1698

3月2日調理の肉野菜炒め(コース料理として)

1603 days until the end of the first phase

佐々木食堂

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