民衆の住まい

近世の日本では武士のような特権階級を除き、多くの生産従事者と商人らが暮らしていました。門を構えた敷地の奥に主屋が建つ農家に比べて、町人の住む店舗兼住宅を町屋(まちや)と呼びました。町屋は表通りに面して立てられ職住が一致していました。通りに近い部分に土間を設け店の空間を確保、奥に居住空間を作り通り土間で結びます。通り土間の奥(すみ)に台所が作られかまどや洗い場などの水回りが設置されました。裏通りには職人が仕事場を兼ねた町屋、住居専用の町屋、住居水準の低い長屋が作られました。店をやっていない住居専用の町屋は近世では仕舞屋(しもたや)と呼びました。江戸幕府は間口の広さで課税したので町人はなるべく間口を狭くして課税を減らし奥に長い居住空間を確保しました。台所のかまどは漆喰でかためられるようになりました。レンガが使われ始めたのは明治時代以降です

No.1365

4月11日調理の海老野菜炒め

1936 days until the end of the first phase

佐々木食堂

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